教えて浄土真宗

真正寺は福岡教区早良組 (33ヶ寺) に属しております。その早良組に情報啓発部発行の「早良組だより」なる発行物があります。そこで組まれた特集を中心に、浄土真宗についての身近な質問にお答えいたいたします。
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法事について葬儀について法名のススメ法具について仏前結婚式
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法事について

皆さんが家庭でいとなまれる一番身近な仏事「ご法事」についてお話をお聞きしました。

Q. そもそも法事は何のため ? 誰のため ?

A 角住職 浄土真宗で「法事」という言葉を使うときは、「仏法事」 (ぶっぽうごと) の略です。先立った方のいのちを縁として、私が仏法に出遇うために勤めさせていただくのです。死者に対して功徳を施すと言うことではありません。

Q. 法事ではどこまでの親戚を呼べばいいのですか ?

A 角住職 これはお坊さんが関与する問題ではありません。しかし、本来ご法事は親戚だけでしか勤めないという考え方はありません。例えば「法供養」という風習がまだ早良にも残っていますが、地域の方を呼んで法事をいとなみ、近所の皆さんと仏法を慶ばれるのです。友人・知人を呼ばれる方もいますし、ご法事を縁として、どなたに仏様のお法 (みのり) に出遇ってほしいと思われるか、ご遺族の想いによって決められたら良いのではないでしょうか。

Q. 命日が近い二人を合わせて法事をしてもいい?

A 角住職 「ついでに」と言うことですか ?
ご法事は「ついで」ではありません。昔は法事といえば一大行事でした。法事があるから畳替えしようとか、襖 ・ 障子を替えよう、なかには祖父が建てた家だから祖父の法事に合わせて屋根替えしようなど、亡き人を縁とした大きなイベントでした。親戚も休みをとって泊まりがけで来られていました。 最近は法事がおろそかになってきたような気がします。周り (親戚) に迷惑をかけたくないからわずかな身内だけでとか、ひっそりおこないますとか言われますが、どうもその根底には法事に対するご自身の煩わしさが見え隠れしているように思われます。大切なことは「大事 (おおごと) 」なんです。大切なことだから大変なんです。大切なことは「大事 (おおごと) 」に勤めさせていただきたいですね。しかしこれは何も豪華にした方が良いといってるわけではありません。人が生まれ、死んでいくということはまさに「大事 (おおごと) 」なことです。大切な命をご縁としたご法事に、お一人お一人がきちんと向き合っていかれることが大切ではないかと思います。

Q. お位牌は必要 ?

A 角住職 お位牌といいますのは元はといえば中国の儒教の考え方から来る死者の「記録板」です。結論を言いますと、お位牌を礼拝の対象にしない真宗では必要ではありません。ご本尊の阿弥陀様のおすくいに出遇うご縁のお名前が書いてあるのです。ですから過去帳にお名前を書いて、普段は仕舞っておきます。そして法事やご命日の際に表に出します。注意をしていただきたいのですが、浄土真宗はお位牌ではなくて過去帳でいいのですよ、とお聞きになると思いますが、過去帳も礼拝の対象ではありません。重ねて申しますが、私が阿弥陀様のおすくいに出遇うご縁のお名前が書かれているのです。

Q. 納骨はどのタイミング行えばいいのですか ?

A 角住職 納骨をいつしなくてはいけないかは、決まっていません。ただ四十九日や初盆など、縁者がたくさんあつまる時に、納骨を縁として皆さんが仏法に出遇わせていただくことが大切です。日本には埋葬法という法律があり、必ず納骨ないし埋骨をしなくてはいけないという決まりがありますが、こちらもいつまでにしなくてはいけないという期限はありません。

Q. 一周忌と三回忌はどんな数え方 ?

A 角住職 おそらく三回忌以降は数え歳で見ていくのでしょう。一般の仏教では百ヶ日までは『十王経』というお経などを基本に考えられています。いわゆる閻魔大王が出てくるお話です。亡くなられた方は、四十九日までの間、一週間ごとに閻魔様や他の裁判官より裁きを受けるというあのお話です。しかし、一周忌と三回忌の数え方などについては、経典の上には見受けられません。おそらく中国の儒教の影響によるものと思われます。浄土真宗では、『十王経』や儒教の教えは用いませんが、一般の仏教の風習に準じて真宗的な味わいをいただき、ご法事をいとなむのです。

Q. 法事の御斎の意味は ? そしてお精進がいいのですか ?

A 角住職 山本仏骨和上がこのようなことを仰っておられました。「利井鮮如和上にある人が「凡人は魚を食べたいとおもうが、心にそんなことを思いながら、形だけ食べないのでは、精進にならないでしょう」と言ったとき、和上は「食べたいのに、こらえて食べないことが、精進のいったんじゃ」といわれています。要するに真宗では精進するのもご恩報謝の行いですが、せめて父母縁故の命日をご縁として、生命に対する感謝を心がけ、身や心を慎んで、仏法を味わいながら過ごすことは、有り難いことだと思います」まさにそのとおりだと思います。

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葬儀について

「お葬式」。皆様きっと「お葬式」のご縁にあったことがあるでしょう。親しき方の死に、ただただ悲しみに明 け暮れた事。たくさんの親戚が集まり、あまりの賑やかさに悲しいのやら嬉しいのやら分からなくなった事。私たちも必ず迎えなければならない人生最後の大切な儀礼、それが「お葬式」です。その「お葬式」が最近様変わりしているようです。なるべく簡単に、時にはお葬式自体を行わない事もあるようです。そこには「お葬式」の本当の意味がわからずに、ただその儀礼が「わずらわしい」という考えがあるのではないでしょうか。「お葬式を行う意義」についてお話を伺いました。

Q. お葬式って何のため ?

A 角住職 まず、浄土真宗の葬儀と一般の葬儀とは意味合いが違います。まずそこを抑えて考えていく必要があります。浄土真宗の葬儀というのは、単なる告別式ではありません。亡き人の尊い「いのち」を縁として遺族 (私) が仏法に出遇う場なのです。お別れではなく、再び出会える阿弥陀様のお浄土、倶会一処の世界をともにいただくご縁なのです。悲しい別れを縁として出会っていかなければいけない世界があり、悲しい別れを縁としなければ出会えない世界があるのです。このことを前提にこれからの質問を考えると、おのずと見えてくるものがあるのではないでしょうか。

Q. 亡くなったらすぐにお経をあげてもらわなければいけないのでしょうか ?

A 角住職 この質問は、亡くなった方にお経をあげるという事が前提に立っていますね。すぐにお経をあげないと亡くなった方がいいところに行けない、成仏しないのではないかと・・・。お経は死んだ人にあげる呪文ではありません。本来お経とは何であるのか、誰のためにあるのかという事を、きちんと常日頃より聞いておく必要がありますね。

Q. 「北枕」にしないといけませんか ?

A 角住職 これはお釈迦様がお亡くなりになられたお姿を起源にしています。親鸞聖人もそれに習って「頭北面西右脇 」というお姿でご往生なされました。ここで大事なのはお顔を西のお浄土に向けておられるということです。先立った方も遺族も心がお浄土に向いておれば、方角にこだわる必要はありません。立地条件などの問題もあるでしょうから、必ず北枕にしなければならないということはありません。

Q. お線香や蝋燭を絶やさず、寝ずの番をするものだと聞いたのですが ?

A 角住職 蝋燭は阿弥陀様の智慧の光、線香は阿弥陀様のお浄土の香りをあらわすものです。亡き人の冥途 (暗闇) での目印や食事ではありません。お参りの都度、各自が蝋燭に明かりをつけ、焼香すればいいのです。

Q. 「法名」がないのですが ?

A 角住職 本来「法名」とは、仏様の教えをいただいていく人生の名告りですから、生前にいただくのが本来でありますが、そういうご縁がなかった方には、葬儀をご縁としていただいていきます。

Q. 浄土真宗の教えをまったく聞かずに亡くなったのですが、お浄土に生まれたのですか?

A 角住職 お浄土に生まれたのか、生まれなかったのか。救われたのか、救われていないのかは、救い主である阿弥陀様の領分です。阿弥陀様は「十万衆生」つまり生きとし生けるもの必ず救うとのお誓いですから、ただただ、「ありがとうございます」とお念仏させていただくだけです。聞かずに終わる人生にはお念仏申す人生はありません。勿体ないことだと思います。

Q. 最近お葬式をしない直葬を広告で見かけますが・・・

A 角住職 直葬では誰も仏法のご縁に遇う事が出来ませんし、先立たれた方の遺族が亡き人に変わり、生前ご縁のあった方々にお礼を申すこともできません。そして、先立たれた方に遺された者がお礼を申すことも出来ません。どうも直葬には色んな意味で「わずわらしい」という思いが働いているように思えます。人が生まれ、死んでいくということは大変なことです。わずらわしいという思いでかたずけることではありません。

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法名のススメ

お葬式の時にお位牌や法名軸に書いてある「法名」。そんなイメージからか、「法名は死んだ人がいただくもの」という印象があります。今回はそんな「法名」についての一問一答です。

Q. そもそも法名とはなんですか ?

A 角住職 浄土真宗の門徒としての名告りです。門徒としての自覚の名告りと言っても良いでしょう。ご本山で帰敬式を受け、おかみそりをしていただき法名を拝受するのです。

Q. 亡くなった後につける名前ではないのですね ?

A 角住職 本来は亡くなって門徒になるのではないのですから、おのずとその答えは明らかになりますね。でもそうは言うものの一般的には死後につける名前と思われているのは事実です。その一つの要因として、折角、ご本山から法名を拝受されても、その法名は生前に日の目を見ることはなく、お仏壇の引き出しの中におさめられ、葬儀の時に「確かあったはずだ」と遺族があたふたしながら見つける場面によく出くわします。つまり法名を頂いても、その法名が普段の生活となんら関わりを持ち合わせてないのが現実なのです。頂いた法名がはたらきになっているか、ただの紙に書いた死後に使う名刺になっているのかということではないでしょうか。ご門徒の中には年賀状や手紙に「釈○○」と、頂いた法名を使われている方もおられますが、ほんの一部ですね。私は有り難いなあとながめているんですが・・・・・・。法名をお仏壇に入れるんじゃなく、目に付く額に入れてかざるとか、集まって法名のお披露目会なども早良組でやってもいいんじゃないかと思ったりします。

Q. ところで必ず「釋」という字がついていますが、どのような意味でしょうか ?

A 角住職 「釋」というのは「釈」の旧字ですが、釈尊 (お釈迦さま) の弟子、つまり仏教徒であることを意味します。私たち、本願寺派では敬式を受式することにより授与され「法名 釋○○」となります。

Q. 「法名」と「戒名」は違うのですか ?

A 角住職 法名も戒名もお釈迦さまの弟子という意味では同じです。しかし、浄土真宗では戒名は用いません。それにはもちろん理由があります。仏教の教えは大きく二つに分けることができます。一つは自らの力をたのみとし、煩悩をなくし戒律を守って仏と成る自力の教え。もう一つは煩悩で仕上がっている私のために立ち上がって下さった阿弥陀さまのお働きによって仏にさせていただく教えです。先に述べた自力の教えによって仏に成るお方につけられる名前が「戒名」。つまり戒律を守って人生を歩んでいく名前です。私たち浄土真宗は阿弥陀さまのお救いの中で仏にさせていただく教えであり、戒律を守る教えではありません。阿弥陀さまのお救い (法) に生かされ、お念仏申す人生の名告りが「法名」なのです。このように法名と戒名では意味合いが大きく違います。

Q. まず法名の本来の意味合いを聞いていくことが大切ですね。

A 角住職 そうですね。法名は亡くなった方がいただく名前ではなく、お念仏をよろこぶ、この私の名告りです。出来れば生前にいただくご縁をもちたいものです。そして先ほども申しましたが法名が生前に活躍できる世界をもっと模索する必要があるような思いを持っています。「法名をいただくよろこび」をもっとひろめたいですね。

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法具について

それぞれに意味やいわれ、作法があります。その「こころ」に触れていただき、粗末に扱わないように心掛けましょう。

聖典

日常勤行聖典には、『正信念仏偈』や『仏説阿弥陀経』など、浄土真宗の門徒にとって大切な教えが書かれています。聖典は頂戴(額の高さに頂く)してから開き、閉じた後にも同様に頂戴します。1人に1冊、自分用の聖典を用意して、ともに勤行(おつとめ)いたしましょう。
≪聖典の表紙のいわれ≫
私たちが使っている聖典は、赤い表紙のものが多く見られます。この赤色は血染めの赤といわれています。 蓮如上人の時代 (1474年) に、吉崎御坊で火災があった時の出来事です。燃えている御坊の中には、大切な親鸞聖人御真筆の聖教が残されていたので、一人のお弟子さんが取りに行きました。聖教を発見しましたが、戻り道がふさがって引き返すことができません。このままでは命もろとも聖教まで燃えてしまうと考え、懐中より小刀を取り出し、腹を十字に捌き、その腹の中に聖教を深くおさめ入れ、燃えないように身を挺して守ったのです。焼けた御坊の跡には、真っ黒になったお弟子さんの姿がありました。このお弟子さんの遺徳をしのび、赤い表紙の聖典が生まれた一説があります。

念珠

お念珠は仏前に礼拝するときに欠かせない大切な法具で、一般的には珠数(数珠)ともいわれています。 形や用い方は宗派によって多少の違いがあります。お念仏の回数を数えたりするために用いることもあるようです。浄土真宗本願寺派では「念珠」といい、阿弥陀如来さまをつつしんで敬い礼拝 (合掌・礼拝) するときの法具として用います。蓮如上人はお念珠を持たないのは阿弥陀如来さまを手づかみにするようなものですと述べられ、お念珠を持つことをすすめてくださっています。珠の数は百八 ・ 五十四 ・ 三十六 ・ 二十七 ・ 十八など色々で、珠の大きさによっても違いがあるようです。 お念珠の持ち方は、房や紐を下にたらし、腕にかけたりせず (腕輪念珠は別)、いつも左手に持ちます。合掌のときは、指を閉じてのばし、お念珠を両手にかけて、房や紐を下にたらし親指で軽くおさえます。また腕輪念珠は念珠を小さくしたもので、いつでもどこでも礼拝できるように作られたもので、魔除けや占い用ではなく、あくまで法具として用います。なお切れたお念珠は仏壇店や念珠店で修理してもらえます。

式章

「威儀を正す」という言葉があります。僧侶のお袈裟には「威儀」といって袈裟を結ぶ紐があり、そこを正しく結ばないと着用できません。法要前に心を落ち着かせ、身なりを整える前に「威儀を正す」と言われるようになりました (諸説あり) では、一般門徒が仏前でお参りをする場合、どのような服装がふさわしいでしょうか。和服が主流であった時代は袴が男子正装の一種で、通常は肩衣と袴からなっており、当時、肩衣の着用は最高の敬意を表す正装だったそうです。今でも大法要などでは着用している姿が見受けられます。しかし、時代の流れの中、西洋文化の洋服を着るようになると肩衣では合わせにくくなったため、洋服に合うように、昭和7年に「式章」が制定されました。それ以降、真宗門徒にとって式章は仏事の際の正装とされるようになりました。門徒式章は基本的に老若男女用ですが、仏教壮年会や仏教婦人会等、会によっては指定されていますので、ご購入の際はお手次のお寺さんにご相談して下さい。

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早良組西宗寺で仏前結婚式が執り行われました。西宗寺ご門徒の亜里沙さんとオーストラリア在住のギャリーさんの国際結婚。二人にはそれぞれの地元で結婚式を挙げたいという想いがありました。「オーストラリアではウェディングドレスを着て人前結婚式を行うことになっていたので、日本ではより日本らしく、白無垢を着るような式がしたいと思いました。」その想いを母親に相談したところ、「いつもお世話になっているお寺さんでやったら?」というその一声がキッカケでした。「幼いころから子ども会などでお寺には何度も行ったことがあったし、納骨堂もあるので亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんが一緒のような気がして」とお寺での仏前結婚式を決意されたそうです。

キッカケのキッカケ

亜里沙さんに仏前結婚式を勧めた母親も思いつきで勧めた訳ではありませんでした。数ヶ月前に「早良組門信徒のつどい」で行われた模擬仏前結婚式を思い出されたそうです。「そのとき初めて仏前結婚式の存在を知りました。娘に相談されたときにその光景を思い出して、これも何かのご縁と感じ勧めたんです。」  亜里沙さんの母親のように仏前結婚式というカタチを知らない人は多いのではないでしょうか。日本人らしい和装の結婚式と言われると、神社などで行う神前結婚式を想像します。家に仏壇があり、お盆やお葬式はお寺で勧めても結婚式をお寺で行うという認識はあまり一般的ではないようです。しかし、その認識が今変わろうとしています。

仏前結婚式というカタチ

ギャリーさんも最初に仏前結婚式と聞いた時は「なにそれ?」という印象だったそうです。ギャリーさんは日本への留学経験があり、日本の文化については多少なりとも理解があったそうですが、「仏前結婚式」という言葉は初耳だったようです。親族一同も同じ印象で、みな聞きなれない言葉に興味津々でした。「むしろ私の友人達の方が驚いていました (笑)」と亜里沙さん。それぞれの反応が窺えます。

私たちの名前が出てきてびっくり

お二人に最も印象に残っている場面を尋ねると、二人とも「お経の中に私たちの名前が出てきたときは驚きました。」という事でした。実はこれ、「表白 (ひょうびゃく) といい「今からこのような趣旨でお勤めを致します」と阿弥陀様に申し述べる文章です。法事やお葬式では参加している人の名前が入ることはありませんが、刑事となると参加している方のお名前が入ります。お経が少し身近になる瞬間だったのかも知れませんね。

結婚式の実際

今回、歴史的建造物での結婚式が増えているということを紹介致しました。しかし、仏前結婚式の数自体はまだまだ少ないというのが現状です。現在日本では多くの人がキリスト教系の協会で結婚式を挙げられています。しかし、文化庁の統計によると日本人が帰属する宗教の分布は仏教系が約8500万人、神道系が約1億人となっています。つまり、日本人の大半が仏教か神道、あるいはその両方に帰属しているようです。教会で結婚式を挙げる夫婦の多くがキリスト教徒ではないように、現在の日本では結婚式における宗教性は薄れてきています。亜里沙さんご夫婦のように、自分に合った結婚式のカタチを模索するのも良いのではないでしょうか。